<日程> 1884年11月~1885年2月
<参加国>
イギリス・ドイツ・フランス・イタリア・アメリカ・ロシア・オランダ・オーストラリア=ハンガリー・スペイン・ポルトガル・スウェーデン=ノルウェー・オスマントルコ・ベルギー 計13か国+オブザーバーとしてコンゴ国際協会(ベルギーのレオポルド二世の利益代表)
<開催の経緯>
コンゴ地域における列強による植民地争奪戦の調停を目的としてビスマルクが呼びかけ。
ただし、より長期の目的としてアフリカ全体の無秩序な植民地切り取り合戦を憂慮した列強が秩序だった植民地獲得のために開いた側面もある。
<結果>
・コンゴ地域に関しては、レオポルド二世の私領であるコンゴ自由国を承認、それとともにコンゴ川・ニジェール川の自由航行権を認めコンゴ盆地の自由貿易化を図る。
・アフリカ進出のための二大基本原則を合意。
①勢力範囲の原則・・・沿岸部を支配すれば自動的に後背地の所有が認められ、新しい地域を勢力下におく場合は他の列強国にのみ通達すれば認められる。
②実効支配の原則・・・新しく地域を勢力圏にいれる場合は、他国の権益を保護できる実効的な権力を立てなければならない。
<参考>
宮本正興・松田基二 (1997) 『新書アフリカ史』 講談社現代文庫
*画像:Wikipedia「ベルリン会議」より








