アフリカまとめ

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日本

雁行形態論

英訳:Flying-geese model

赤松要氏により1900年代中ごろに提起された後発工業国の発展パターンを説明する理論。
【後発国の発展パターンとしての雁行形態】
①輸入期
ある産業が後発国内で発展を始めるとき、国内の潜在需要を喚起するために先発国から製品を輸入する。
②輸入代替期
輸入品により潜在需要が喚起され製品の市場ができるため国内企業も生産を開始し、国産製品によって輸入品を代替していく。
③輸出期
国内需要を国内生産が上回り輸出をはじめる。

以上のような発展段階をグラフ上に描くと、輸入量・輸入代替生産量・輸出量が雁行のように次々と山を描くことから雁行形態論と名付けられた。

【アジア諸国の発展パターンとしての雁行形態】
アジアではまず日本が軽工業分野で工業化に成功した。その後日本の産業が重工業に移っていくにつれ軽工業の中心はNIES国等の新興国へと移っていきさらにNIES国も重工業化に成功すると、今度はASEAN諸国へ軽工業の中心はうつっていった。近年では日本・韓国など多くの国が高度に知識集約的な情報産業分野に移っていく中、ASEAN諸国も重工業化に成功し、CLMV諸国に産業化の波が移ってきている。

このようにアジア諸国が群れを成して順々に産業化に成功していく様子が雁行のようである点ものちに雁行形態的であるとされた。
また、このような経過の中で海外直接投資が先発国から後発国へ行われることも強調される。


<参考>
森脇祥太(2004)「雁行形態論」渡辺利夫・佐々木郷里編『開発経済学事典』弘文堂
長谷川啓之(2010)「アジアの工業化と経済発展:1つの雁行形態論批判(1)」『IAM Newsletter』第6号





日本アフリカ関係②:貿易

日本の対アフリカ貿易に関して、岡田(2007)の整理を通して学んでみましょう。

I. 時代別の量的な特徴                           file3021258241702
  i) 1960年代以前
    a) 輸出
日本の輸出はまだ主に繊維製品を中心とする軽工業品が大きな割合を占め、総輸出額の17.5%はアフリカに対する輸出で占められた。
    b) 輸入
言及なし、少量。

  ii) 1970年代から90年代
    a) 輸出
日本の対アフリカ輸出入ともに拡大したが、対先進国での貿易がそれを上回る速さで拡大したため総貿易額中のシャアでは減少を続けた。総額ベースで見ても80年代以降は急減している。
    b) 輸入
輸出ほぼ同様

  iii) 2000年以降
    a) 輸出
日本の対サブサハラ輸出拡大の中心は南アフリカで、90年代後半から2006年までほぼ半分を占めている。対南アフリカ輸出の52%は日系メーカーの輸出としての自動車・同部品、33%がインフラ投資の増加としての機械・電気機械である(2006)。南アフリカ以外のサブサハラアフリカへの輸出の69%は輸送用機械であるがその内3分の1以上がリベリアの便宜船籍のための輸出で、輸出全体から船舶輸出を除けば自動車・同部品の占める割合は57%となる。
    b) 輸入
90年代後半に南アフリカの民主化により同国との貿易が拡大し、2000年以降にはそのほかのサブサハラ諸国との貿易も急拡大する。南アフリカからの輸入は主に貴石・金属等の資源が多いが、南アフリカに生産拠点を持つドイツ自動車メーカーが日本への輸出を始めたことで2000年以降は自動車等の輸入が急拡大し15%を占めるに至った(2006年)。一方で、南アフリカ以外のサブサハラ諸国からの輸入の増加に関しては主に原油輸入の増加が原因である。

II. 評価                                    
世界的な資源獲得競争の中で日本の製造業のため原材料を確保するためにはサブサハラの資源は不可欠で、日本企業のグローバル化実現にはサブサハラ市場は避けて通れれない。そのため、日本とサブサハラの貿易関係は資源輸入と日本のお家芸たる自動車輸出の二つに集中している。


<参考>
岡田茂樹(2007)「日本とサブサハラ・アフリカの貿易・投資」『成長するアフリカ—日本と中国の視点 (会議報告)
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Kidou/pdf/2007_03_03_5_okada_j.pdf

日本アフリカ関係①:日本の援助外交

graph2-1日本とアフリカの国際関係について、佐藤(2007)で外交的側面について議論されています。
佐藤(2007)の議論はShcreader(1999)への批判を中心に展開されていますが、Schreader(1999)の原文は手に入らなかったため佐藤(2007)のみを参考としています。


I. シュレーダー(Schreader)の理解                
日本のアフリカ援助は経済的利益追求を目的とした新重商主義的なものである。日本の援助は日本の産業にとって死活的な資源国か日本の輸出進出にとっての地域的拠点に限られる。

II. 佐藤の主張                             
・日本の援助はアフリカのほぼすべての国々に対して行われており、量的な比較でも資源国と非資源国で決定的な違いがあるわけではない。
例:2000年の援助額は資源国である南アフリカが1980万ドル、ザンビアが3190万ドル。資源の豊富でない国、マラウイが3850万ドル、ブルキナファソが2130万ドル、タンザニアが2億1710万ドル、ジンバブエが6240万ドル。

・日本のアフリカ外交は第三者や国際社会の出来事・要請に対する「反応」として形成されてきたのであり、アフリカ諸国との二者関係としてではなく、第三国や国際社会の状況の中に位置付けられなければならない。
例:・アジア‐日本‐アフリカ(日本のアフリカ援助初期の「日本のアジア援助による成功経験をアフリカへ」)
  ・中東‐日本‐アフリカ(オイルショックを受けた石油供給元の分散戦略)
  ・国際社会‐日本‐アフリカ(国連安保理常任理事国入りに向けた票の確保)
  ・欧米諸国‐日本‐アフリカ(欧米の援助疲れ・日本の貿易黒字への批判を受けたアフリカ重視)

・日本とアフリカの三者関係性は不正常なものではないが、今後は企業や市民社会を含めた複合的二者関係を深化させ、アフリカ諸国そのものに対する反応性を高めていかなければならない。


<参考>
佐藤誠(2007)「日本のアフリカ外交ー歴史にみるその特質」 武田進一編『成長するアフリカ―日本と中国の視点(会議報告)』
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Kidou/pdf/2007_03_03_3_sato_j.pdf

*円グラフは外務省サイトより