アフリカまとめ

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日本アフリカ関係①:日本の援助外交

graph2-1日本とアフリカの国際関係について、佐藤(2007)で外交的側面について議論されています。
佐藤(2007)の議論はShcreader(1999)への批判を中心に展開されていますが、Schreader(1999)の原文は手に入らなかったため佐藤(2007)のみを参考としています。


I. シュレーダー(Schreader)の理解                
日本のアフリカ援助は経済的利益追求を目的とした新重商主義的なものである。日本の援助は日本の産業にとって死活的な資源国か日本の輸出進出にとっての地域的拠点に限られる。

II. 佐藤の主張                             
・日本の援助はアフリカのほぼすべての国々に対して行われており、量的な比較でも資源国と非資源国で決定的な違いがあるわけではない。
例:2000年の援助額は資源国である南アフリカが1980万ドル、ザンビアが3190万ドル。資源の豊富でない国、マラウイが3850万ドル、ブルキナファソが2130万ドル、タンザニアが2億1710万ドル、ジンバブエが6240万ドル。

・日本のアフリカ外交は第三者や国際社会の出来事・要請に対する「反応」として形成されてきたのであり、アフリカ諸国との二者関係としてではなく、第三国や国際社会の状況の中に位置付けられなければならない。
例:・アジア‐日本‐アフリカ(日本のアフリカ援助初期の「日本のアジア援助による成功経験をアフリカへ」)
  ・中東‐日本‐アフリカ(オイルショックを受けた石油供給元の分散戦略)
  ・国際社会‐日本‐アフリカ(国連安保理常任理事国入りに向けた票の確保)
  ・欧米諸国‐日本‐アフリカ(欧米の援助疲れ・日本の貿易黒字への批判を受けたアフリカ重視)

・日本とアフリカの三者関係性は不正常なものではないが、今後は企業や市民社会を含めた複合的二者関係を深化させ、アフリカ諸国そのものに対する反応性を高めていかなければならない。


<参考>
佐藤誠(2007)「日本のアフリカ外交ー歴史にみるその特質」 武田進一編『成長するアフリカ―日本と中国の視点(会議報告)』
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Kidou/pdf/2007_03_03_3_sato_j.pdf

*円グラフは外務省サイトより

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<沿革>
2015年1月 設立




ボコハラム

<概要>                                    file2631272841727
ナイジェリア北部で活動するイスラム過激派組織。Boko Haram とは、現地語で「西洋式教育は罪」という意味。正式名称は、「宣教及びジハードを手にしたスンニ派イスラム教徒としてふさわしき者たち」。西洋式のあらゆる社会活動(選挙・洋服など)を否定し、ナイジェリア政府を信仰に反した人間により運営されているとする。近年,攻撃対象は,キリスト教会,警察,政府関係施設などから国連施設にまで拡大。

<背景>                                    
ナイジェリア北部では1970年代のイザラ運動、80年代のマイタシン運動などイスラム過激派の運動が繰り返されてきたが、ボコハラムは2000年代になって勢力を伸ばしてきた。これらの運動の背景としては、ナイジェリアのオイルマネーの利権を取り巻く腐敗や市場主義の導入に伴う格差の拡大が挙げられる。

<目的>                                    
①ナイジェリア政府の打倒
②ボルノ州(ボコハラム発足地)におけるイスラム法施行
③西洋式教育の否定
最終的にはイスラム国家の建設を目指しているといわれる。

<主な出来事>                                
2002年:イスラム学習グループから分派する形で設立
2009年7月:警察による取り締まりをきっかけに当局との戦闘を激化
2010~2013年:各地でテロ活動
2013年5月:ナイジェリア政府はテロリズム防止法を制定し、ボコハラムをテロリスト集団と認定
     9月:同様の過激派組織であるアンサルがケニアのナイロビのショッピングモールを襲撃
    11月:アメリカ政府もボコハラムをアンサル(同様の過激組織)とともに海外テロリスト集団に指定
2014年4月14日:ボルノ州北東部チボクの寄宿制中学校から女子学生270名を誘拐
     5月5日:代表者シャカウが女子学生らを奴隷として売買する動画を公開


<参考>
島田秀平(2014)「時事解説:ボコハラムの過激化の軌跡」『アフリカレポート』No.52 pp.51-56
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Africa/2014_16.html#1

公安調査庁「国際テロリズム要覧(Web版)」(2014年2月アクセス)
http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/africa/boko_haram.html

Chosia Farouk.(2015).”Who are Nigeria's Boko Haram Isramists?” BBC News.
Available at http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-13809501 [Accessed on 27th Feb. 2015]